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嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

新たな名著を手にして壁を超える件

嘆きの壁。ユダヤ教で最も神聖とされるエルサレム神殿の西側の外壁であり、聖地となっている。ユダヤ教徒はここで壁に手を触れながら熱心に祈りを捧げる。

 

この壁の裏側はイスラム教の聖地である岩のドームがあり、歴史的にアラブとユダヤの対立の舞台となった場所でもある。今でもこの地を巡って紛争が続き、血が流され続けている。


アンニョイな土曜日。正月気分のまま一年を過ごすという抱負を抱え、うだうだしながら過ごしている。気分は晴れやかなのだが、毎日無為に過ごすのに飽きて来たのでなんとなく出かけることにした。

 

嫁のママチャリにまたがり行く当てもなく迷い子のようにペダルを漕ぐ。人生は思うように進まないが、チャリは進んでくれる。たぶん、人生に乗り慣れていないだけなんだろう。

 

1月の冷たい風が顔を打ち付けるが、家でも毎日冷や水を浴びせられているようなものなので、なんだか爽快な気分になった。


気ままに遠乗りしていると、日本一治安の悪い某西成の方まで出てきた。今は少しマシになったが、道端で堂々と盗品を売っているのはここくらいであろう。段ボールを山積みしたリヤカーを引くオジサンと競争していたら、嘆きの壁に出た。

 

大阪の天王寺駅西側のキレイに再開発された地域と飛田新地の間にある長い壁は、嘆きの壁と呼ばれている。大阪人に(といっても中年男性のみ)とってはこっちの方が嘆きの壁として認知されている。

 

なぜ嘆きの壁と呼ばれるかと言うと、ワタクシの想像では飛田新地で自らの欲望に負けて散財し嘆きながら壁沿いにトボトボ駅に向かって帰る人が多かったからだと思っていた。が、本当は遊女が逃げないように、かつて遊郭一帯の四方が壁に囲まれていて、その名残かららしい。


なんだか複雑な心境にしてくれる壁ではあるが、昔から色んな人がこの壁周辺で嘆き悲しんで来たのであろう。壁はいつの時代も悲劇の元である。

 

なんだか自分の壁を超えたくなったので、踏み込んではイケナイという鉄の掟を破って飛田新地に入ってみることにした。

 

基本的にイケイケのワタクシでもアブナイので、昼間でもこの辺りはうろつかないことにしている。興味のある方はストリートビューで探検してみるとよい。


青春時代を過ごした青春通りを懐かしみながらママチャリを飛ばしていると、花魁みたいな嬢がオニーサーンと声をかけてくれる。破れたズボンで子供用の座席シートを付けたママチャリに乗っていて、明らかに客になりそうにないのに声を掛けられるワタクシ。

 

昔からワタクシは繁華街で声を掛けられやすい。なぜ一目でワタクシがいい客になる素養を持っていると見抜かれるのか不思議で仕方ない。実際、人がいいので一度客になると毎日のように通ってしまうカモとなるのだが。

 

嬢からの誘惑を振り切り、煩悩を払うために妖怪通りにやってきた。詳しくは説明しないが、青春通りにはものすごい美人の嬢がたくさんいて料金も高い。妖怪通りは、妖怪がいて料金が安い。普通は青春通りで遊ぶのだが、一部の特殊な人や年金暮らしのジジイなんかは妖怪通りにやってくる。なので別名年金通りと呼ばれている。


昔は何軒もあったが今では盛業中の店は少なくなってしまったようである。妖怪通りの端の端の誰も寄り付かないような場所を、なんとなくふらふら走ってみた。

 

するとポツリと開いていた一軒の店に、どっからどう見てもポン引きのババアとしか見えないババアが、客を取ろうと化粧して自分をライトアップしていた。一人ぼっちで。通常、飛田新地では、嬢とポン引きのババアの2人がセットになって店の玄関先に座って営業している。

 

客はババアと交渉して店に入るのだが、ババアの軽妙なトークに上手く乗せられて痛い目を見るのがパターンである。ババアに勝てる客などいない。値引きできたとしてもたかが知れている。


話を戻して、妖怪通りのババア。ワタクシの曇り無き眼で何度も確認したが、本気で客を取る気でいるようである。アダモちゃんのようなパーマに、空襲で焼け出されて逃げる時のモンペみたいなズボンを履いている。

 

”ニーチャン遊んで行けへんか~”の声が聞こえるか聞こえないかくらいのタイミングでワタクシは高速でペダルを漕いだ。道端の臭いおしぼりが満載された箱にぶつかりながらも全力で避難した。

 

家路につきながらワタクシはあらゆる想いを逡巡させていた。苦境に負けず人間界で元気に働く妖怪もいる。家にはさらに強烈な妖怪もいるではないか。妖怪一匹愛せずに人が愛せるのか?

 

まだ聖墳墓教会に埋葬されるまでに時間はある。十字架を背負いながらも磔にされたワケではない。イケる!まだまだイケるぞマスオ!

 

ワタクシは立ち止まり、静かにハンドルを来た道へ戻した。


”この道をゆけばどうなるものか 危ぶむなかれ”と尊敬するA・猪木先生は語った。が、歳を重ねるごとに常に危険のない道を通るようになった。そんな自分が好きである。

 

妖怪を避けて天王寺の大きな本屋に辿りついたワタクシは、一冊の本を手に取った。

 

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D・カーネギー先生著「人を動かす [完 全 版] 」昨年11月に新潮社から出たばかりの新訳本である。今まで使っていた創元社発行の緑色のモノは、実はカーネギー先生の嫁が先生の死後に手を加えて、原書の内容を削除したり、自分が書いた話を加筆したりするという暴挙に出ている内容を翻訳したもので、不完全なモノであった。それでも中身はスバラシイのであるが。

 

D・カーネギー先生も悪妻を持って苦労したと思うと嬉しい気分になるが、その前にこの完全版を精読して、2017年はワタクシも完全版を目指すことにする。妖怪を退治している場合じゃない。


エルサレムの嘆きの壁の隙間には、願い事が書かれた紙が無数に詰め込まれている。ユダヤ教を信仰する人達が熱心に書いて毎日のように紙を差し込みに来るのだ。

 

ワタクシも新たに手にした聖書に付箋を挟んで、修業を始める。本が付箋で一杯になる頃には、我が家に潜む妖怪達との間にできた壁を壊すことができると信じながら。