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嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

坂の上の嫁

その他

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司馬遼太郎先生の名著「坂の上の雲」は、日露戦争を舞台とし秋山兄弟と正岡子規を主人公にその歴史や人間模様を描いた小説である。

 

明治時代を駆け抜けた3人の青年を通して、日本人の精神性を描写し、現代に生きるワタクシ達に何かを強く訴えてくる。


アンニョイな神無月。澄み渡った空に広がるうろこ雲を眺めながら、ワタクシは手を合わせて神に祈っている。

 

最近、愛する嫁の機嫌が悪い。

 

毎日、塹壕にこもっていつ終わるとも知れない戦いに参戦している大阪第三師団に徴兵された一兵卒の気分である。頭の中に敵の大砲が飛んできている状態で、どうやらメンタルが相当にやられているようだ。ブログを書く気力も失い、手に取ったのは名著「坂の上の雲」であった。

 

名著はワタクシに様々な教えを与えてくれる。秋山好古のような偉人の生き方を学び、自分の人生を考え直すもよし、戦争という極限状態で人間がどのような行動を取るのか?といった戦訓を生かすもよし。


日露戦争は、日本史に燦然と輝く勝利の歴史であり、当時、無名の小国であった日本が大国ロシアに勝ったことはまさに奇跡であった。しかしながらその実態は、薄氷の上に立ったようなものであり、かろうじて負けなかったといった方が正しいと司馬先生は鋭く指摘している。

 

ワタクシと嫁との戦争に置き換えると、不覚にも嫁の策略にハマってデキちゃってしまい、首根っこを掴まれて以来の連戦連敗であった。戦いにおいては、まず、先制攻撃で勝ちの流れを作ることは定石であり、その点からしても負け戦は決まっていたように思う。

 

さらに、相手の戦力の2倍以上でもって攻撃を行うという単純な数の論理も重要な要素である。嫁は、娘や姑、親戚のオバチャンまでを味方に引き入れ、常にワタクシよりも数の上で勝った状態で攻撃を仕掛けてきた。

 

ワタクシは、守勢に立たされ孤立無援の旅順要塞に立てこもるかのように、ひたすら耐え、読書で自己を啓発し、なんとか潰走を食い止めていたような状態であった。


史実では、乃木希典率いる第三軍が二〇三高地を奪取し、28センチ榴弾砲が旅順湾内の戦艦や市街地を攻撃したため、ロシア側の敗色が濃厚になった。相手の弱点に対して集中攻撃を行うという戦術の正しさを証明したやり方でもあった。

 

ワタクシは自分の弱点を自ら認識して、そこに堡塁を築く必要があるということであろう。実際に市街地への攻撃は、大した損害が出たワケではなかったが病院にも大砲が飛んでくるという精神的なダメージがロシア側が降伏に傾く一因になったことはいうまでもない。

 

バルチック艦隊がそうであったように、戦いにおいて士気は最も勝敗を左右する要素である。いかに精神的なダメージを受けず士気を維持することができるかが、勝負を決するのである。メンタルに弱点を抱えるワタクシは、名著を精読することで弱点をカバーする必要があるということなのだ。


四十路を前に自分が秋山真之のような天才でもなければ、好古のような胆力を持っているワケでもないことには気が付いている。凡将が勘違いをすると多くの兵卒を死なせてしまうが、自らの凡才を理解し自分の得意なやり方でのみ勇将と対峙することができる。

 

日本人は、昔から少数の兵力で多数の敵を破るといった逆転ドラマが大好きである。それには、夜討ち朝駆けといった奇襲攻撃を用いる必要があるワケだが、必ずしもそのような作戦がうまくいくとは限らない。

 

奇襲を仕掛けている時点でそれは、弱者の戦術であり、戦いをする前から劣勢に立たされている証拠でもある。日露戦争においても、白襷隊や永沼挺身隊といった奇襲作戦が用いられたが、大した戦果をあげることはできなかった。

 

ワタクシも毎晩、池沼挺身隊として奇襲を行っているが、最近では成功することはなく、嫁にマジでウザイと言われ撃沈する状態である。奇襲は、1、2回目には効果が見込めるが続けると奇襲でなくなり相手も身構える余裕が出て来るというワケだ。


どうやらワタクシにできることは、ひたすら要塞に立てこもり読書をして、毎朝、朝日に向かって手を合わせ、天祐を待つことのみのような気がしている。いつの時代も、戦争は起こすのは簡単だが、終わらせるのが難しい。

 

明日には工兵による掘削と爆破攻撃により、陣地が吹っ飛ばされるかも知れないが、それでもなお、一所懸命に立てこもりを続けるつもりだ。それが、現状において最も正しいやり方であると思われる。

 

そして、最も条件のいい所で和解する。離婚して慰謝料を払わずに親権を取ろうなどと都合の良いことができるハズもない。セオドア・ルーズベルトの仲裁でポーツマス条約が成立したかのように、和解に向けて行動しなくてはならないのだろう。


結局のところ、日本は満州の権益や領土の獲得には成功したが、賠償金を取れず、不況が吹き荒れることになる。ロシアは、国内が不安定になりロシア第一革命に続き、二月革命にてロマノフ王朝は崩壊することとなる。

 

戦いに勝っても負けてもその後、さらなる泥沼が待っていることは歴史が証明するところであり、最も正しい戦訓は、戦わずして勝つことであると言える。

 

日本は、日露戦争の勝利に酔い、聯合艦隊解散之辞において秋山真之が書いたように勝って兜の緒を締めることなく、わずか40年後には太平洋戦争に突入し、多くの悲劇を生み出すことなった。

 

戦いに勝ったところで、相手に恨みを持たれればいつか必ず仕返しされる。相手はその機会を常に物陰から狙い続けているのだ。樺太や千島列島はいつの間にかロシア領になっていたことがそれを証明している。


夭折した正岡子規は、病床にありながら創作を続け日本の文学に大きな足跡を残した。生涯、嫁をもらうことはなかったが、家族や友人に囲まれて借家の殺風景な庭を眺めながら、壮大な世界観を創りあげた。

 

真之が子規の家に遊びに行く途中、手を伸ばせば掴めるかのように、坂の上には雲が広がっていた。ワタクシはどんな雲を掴もうとしているのだろうか?今はただ、坂の上の嫁に虐げられながらも、地に伏してブログを綴る日々である。

 

 

”嫁くへば ブツブツできた ソーセージ” マスオ