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嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

うまくなくとも正しく栗ご飯を作る件

嫁を動かす-道は開ける

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「偉くなくとも、正しく生きる」

 

これがワタクシの信念です!と世の中に訴えた偉人がいた。福島県常葉町出身のエンペラー吉田さんというただのじいちゃんである。

 

人の主義主張は数あれど、万人の心を動かす主張は数少ない。入れ歯が外れるほどの力強さで生き方を教えてくれた彼を、ワタクシは崇拝している。


アンニョイな日曜日。本物のマスオとなり姑氏との同居生活が始まって、早2か月が過ぎようとしている。ワタクシと姑氏との確執は顕在化し、毎日、目を合わさずに最低限の言葉を交わす、こう着状態が続いている。

 

先日は炊飯器のお釜を洗うのに、洗剤とスポンジを使うな!と小言を言い始めた。メンドクサイことはしない主義のワタクシには、到底、受け入れがたい主張であり、無視を決め込んでいる。

 

そんなワタクシをよそに姑氏は、氷を入れるだのなんだの米炊きの持論を必死に主張している。無洗米を使っている時点でおいしい米は炊けない気がするのだが、自身の主張が世界一正しいと信じて疑わない様子である。


本日は、嫁が栗拾いに行った友達から栗をゲットしてきたので、栗ご飯を作ることになった。嫁は手伝わないので、必死に茹でて皮をむいてと準備をしていたら、姑氏がやり方が違うと小言を言い始めた。

 

皮ごとお釜に入れるのがいいのか知らないが、一人で栗の皮むきを1時間以上していたワタクシは、鬼皮のようにイラついて、トゲトゲごと投げてやろうかと思った。

 

が、自分の腕にトゲを刺して踏みとどまり、脳内に保存されている尊敬するD・カーネギー先生の名著「道は開ける」を皮をむきながらじっ栗めくることにした。

 

憎悪は私たちの食べる楽しみすらも奪ってしまう。聖書にはこう書いてある。「野菜を食べて互いに愛するのは、肥えた牛を食べて互いに憎むのにまさる」。

 

たとえ敵を愛することができなくても、少なくとも自分自身を愛そうではないか。<中略>シェークスピアもこう言っている。

 

敵のために暖炉を熱しすぎて おのが身を焦がさぬように

 

「道は開ける」189ページより引用

なるほど。危うくワタクシは、栗を熱しすぎてヤケドをするところであった。おそろしい。おそろしい。運動と瞑想と野菜が足りていない。

 

ドングリのように煮ても焼いても食えない姑氏は無視して、栗ご飯を嫁と娘と笑顔で食べることにした。楽しく囲む食卓は、肉がなくてもおいしく感じるものである。

 

ちなみに、網の上で焼かれた栗のように姑氏は、自説を主張し続けていたが、ご飯が不味くなるのでそれ以上は言わない方がいいとトゲを刺して、冷や水をかけておいた。


最近、気が付いたが姑氏も嫁と同様に料理をしない人である。小言を言いながらもワタクシが作った栗ご飯をモジモジ食べている。歳の割には案外、食欲もある。自分用に高級なソーセージをストックして、朝から肉にしゃぶりつくほどである。

 

姑氏が何を食べようとワタクシは口出しするつもりはないのだが、彼女が冷蔵庫に隠している高級なチーズは、ビールのあてとして失敬させてもらっている。

 

すでにバレているが、ワタクシは知らぬ存ぜぬを貫き通している。正しかろうが間違っていようが、力強く主張することが肝心である。


ネット上では今日も、独りよがりな主義主張を訴えて炎上している人がいる。せっかくのおいしい栗も焼き栗になって弾け飛んで、そこら中の人が火傷をしてしまうような危うさである。

 

正しいか正しくないかなど、その人の立ち位置によってカンタンに変わるものであり、それを判別することは、栗の皮をむくようにメンドクサイものである。ワタクシが姑氏の高級チーズを失敬することも、正しく言えば窃盗罪になるだろう。

 

それで、ワタクシが逮捕されたところで何になると言うのか?おいしい栗ご飯をみんなが食べられなくなってしまうだけである。


自説を主張すること自体は大いにやればよい。強く、明るく、元気よく。ただ、熱中し過ぎて火中の栗を拾うことだけは避けた方が賢明である。できれば、エンペラー吉田さんがやったように、万人が笑顔になるような主張をしてほしい。

 

偉くなくとも正しく生きる。

 

吉田のじーちゃんが教えてくれた”正しさ”をみんなが理解できれば、おいしい栗ご飯が食べられると思う今日この頃である。

 

※エンペラー吉田さんを知らない人は⇒コチラ(Youtube動画)