小遣いを貰えない、ワタクシこと旦那は、夕食のサラダにつかったアボカドの種を植えて、育てるのを楽しみにしている。
なんのことはない。ただ、適当な鉢にアボカドの種を置いておけば、気がついたときに芽が出ている。
そのアボカドに水をやって、毎日、大きくなれよ!と声をかける。
たまに、冷静になってアラフォーのいいオッサンが何をしてるんだろ?と悲しい気持ちに襲われるのがまたいい。
ブログも植物も同じように、毎日の積み重ねで少しずつではあるが、確実に成長していく。当初は3日続けば良い方だと思っていたこのブログも気付けば1ヶ月。アボカドの実のようにどんどん深いグリーンになっている気がする。
嫁と結婚してはや3年が過ぎた。ワタクシ達は成長したのだろうか?結婚初日から離婚の話し合いを始めたワタクシ達であるが、よくがんばった方だと思う。
アボカドは1本の木だけでは実をつけることができないという、面白い性質を持っている。同じ木になる雄花と雌花の咲く時期が違うので、1本だけでは受粉することができないのだ。
そのため、大規模に開花時期の違う色んな種類のアボカドを栽培したり、りんごのようにわざと違う種類のアボカドを接木したりする。つまり敢えて違いを作ることによって、実を付けるというワケだ。
夫婦も同じ価値観を持つだけでは、実をつけることができないということか。積極的に違いを受け入れようと思う。
ちょうど今の時期、アボカドは寒さに弱いので、外に置いておけば必ず枯れる。ワタクシは、それを知りながら、せっかく芽を出したアボカドを外に放置する。
そして、見事に枯れる。だが、その中にかろうじて枯れずに生き残り、次の年も葉を茂らせるヤツがいる。そういうヤツは、混合種といわれ、色んな種類が掛け合わされたアボカドに多い。多様性は強さなのだ。
60過ぎたら田舎に引っ越して、生き残ったアボカドを集めて、アボカド農園を始める予定だ。違いを受け入れ続けた末に何が結実するのか?今から楽しみで仕方ない。
旦那がベランダでそんな意味不明な野望を抱いているのを露知らず、リビングでは、ゆっくりアフォガードを楽しむ嫁がいる。
そんな日常がいとおしく思える今日この頃である。